机上の空論を語っている気がする
現在、大手商社で、M&Aの仕事をしています。入社から数年、案件のソーシングからバリュエーション、契約交渉、投資委員会向けの資料作成まで、一通りのプロセスに関わってきました。
外から見れば、これ以上ないほど恵まれた環境だと思います。実際そうだと思います。
それでも最近、はっきりと言語化できる違和感があります。自分は、机上の空論しか話していないのではないか。
数百億円の投資を検討し、市場を分析し、事業計画の蓋然性を議論する。緻密で、知的で、それなりに面白い仕事です。ですが手触りがありません。自分が何かを動かしたという実感が、どうしても湧いてこないのです。
最初はこれを、若手の甘えだと思っていました。ですが掘っていくと、二つの具体的な理由に行き着きました。
一つ目は、意思決定への関与が少なすぎることです。 投資の可否を決めるのは部長であり本部長であり投資委員会です。若手が担うのは、その判断を支える材料の整備になります。もちろん材料の質が判断を左右するのですが、自分が決めたという感覚は、構造的に手元に残りません。
二つ目は、時間軸が長すぎることです。 一つの案件が形になるまで一年から二年。そして、その投資が正しかったのかが分かるのは五年後、十年後です。その頃には自分は別の部署にいます。しかも成果は市況や為替や経営陣の交代といった無数の要因に交絡していて、自分の判断が良かったのかどうかは、事実上永久に検証されません。
この二つが重なると何が起きるか。自分が上手くなっているという実感が、一切得られません。
これは好みの問題ではないと思っています。フィードバックが返ってこないスキルは、複利で積み上がりません。十年やって十年分の経験が残るとは限らない、という話です。
商社は、もう投資会社になっている
自分の感覚の話から、業界の構造の話に移ります。
まず前提として、口銭ビジネスとしての商社は、実質的にもう終わっています。今の利益の大半は、事業投資から生まれる持分利益と配当です。つまり「総合商社の在り方はどうなるか」という問いは、実際には**「投資会社として、なぜ商社という形態が最適なのか」に答えられるか**という問いに置き換わっています。
歴史を振り返ると、商社の存在理由は三回変わっています。
第一期は、情報と信用の非対称性を埋める役割でした。誰も海外の取引先を知らず、誰も貿易金融を組めなかった時代に、商社はその全部を持っていました。この優位は、通信とインターネットが消しました。
第二期は資源投資です。ただしこれは価格変動への依存が大きく、資本市場からは「なぜあなたがその権益を持つ必要があるのか」と問われ続けてきました。
そして第三期が現在で、事業投資と、その先の経営です。
ここで注目すべきなのは、AIが直撃するのは第一期の残滓、つまり「情報を集めて統合する能力」だということです。商社がまだ暗黙のうちに頼っていた最後の非対称性が、ここで消えます。
情報収集、市場分析、財務モデリング、比較可能会社の抽出、資料の作成。私が日々やっている仕事の相当部分がここに入ります。これらは数年のうちに、人間の仕事として残らないでしょう。
AIの後、差がつくのは二箇所だけ
分析のコストがゼロに近づくと、投資判断の質そのもので差をつけるのが難しくなります。誰でも同じ精度でバリュエーションを組み、同じ感応度分析を回せるなら、勝敗はどこでつくのでしょうか。
残るのは二つだけだと考えています。
一つは、案件へのアクセスです。 そもそもその話が自分のところに持ち込まれるかどうか。オフマーケットで相談される関係を持っているかどうか。これは属人的な信頼の蓄積であり、AIには代替できません。
もう一つは、買った後に何ができるかです。 投資した会社の事業を、実際に伸ばせるかどうか。
両方とも、人と現場に紐づいています。ですから逆説的ですが、AIが進むほど、商社における現場人材の相対的な価値は上がるというのが私の見立てです。
単体社員の機能は、三つに分岐する
この前提に立つと、今の商社単体社員の仕事は、次の三つに再編されていくと思います。
第一に、キャピタルアロケーター。 ポートフォリオの設計と資本配分、そして資本市場への説明です。本社機能で、少数精鋭になります。分析はAIがやるので、残るのは判断と説明責任だけです。人数は大幅に減ります。
第二に、オペレーター、つまり経営人材。 投資先に入って事業を動かす人です。商社の本当の商品は「事業を回せる人」であって、それを供給できないなら、その事業を保有する正当性がありません。コングロマリット・ディスカウントの圧力が続く限り、「持って管理するだけ」の資産は売却対象になり、「我々が経営しているから価値が出ている」と言える資産だけが残ります。ここが最大の受け皿になります。
第三に、オリジネーター。 案件を持ってくる人です。数は少ないですが、最も代替されません。
逆に消えていくのは、資料作成、情報収集、投資先の計数モニタリング、社内調整の相当部分、そしてミドル管理層の一部だと思います。
特に強調したいのは、投資後の計数管理こそAIに最速で食われるということです。月次のPL集計、予実差異のコメント、報告資料の作成。これは数年で人間の仕事として残りません。ですから投資先管理の仕事は、モニタリング型から介入型へ変わっていくはずです。実際に事業に入り、価格戦略やチャネルや商品構成に手を突っ込んで価値を出す形へ。
キャリアの標準形が、反転するかもしれない
商社は日本企業ですから、この変化を人員削減では調整しないでしょう。代わりに起きるのは、事業会社への出向の常態化と、その片道化だと思います。
つまり十年後には、「単体社員として本社にいること」がデフォルトではなくなる可能性があります。本社にいて時々出向する形から、事業会社にいて時々本社に戻る形へ、キャリアの標準形が反転する。
もしそうなら、今から自分の意思で事業サイドに移ることは、逆張りではなく先回りです。全員が押し出されてから動くのと、自分で選んで先に動くのとでは、行き先の質がまるで違います。
反対側の見方も置いておきたい
ここまで書いておいて何ですが、商社はこの二十年、何度も「終わる」と言われて終わっていません。
理由は明確で、日本企業の中で突出してリスク許容度が高く、経営人材を大量に供給できる稀有な組織だからです。AIは商社の中の作業を消しますが、商社そのものは残る可能性が高い。起きるのは崩壊ではなく、間接業務と若手の定型業務が消えて、組織がスリム化し高付加価値化するだけ、というシナリオも十分にあり得ます。
実際、各社は既に全社員のAI活用を経営方針に掲げています。これは「人を減らす」ではなく「一人当たりの担当領域を広げる」方向の打ち手です。
私の見立てが外れる可能性は、正直に言って低くないと思っています。
これから商社に入る方、入ったばかりの方へ
就職活動をされている方や、入社して数年の方から見ると、この話はどう効くのか。三つだけ書いておきます。
一つ目。配属先を「花形かどうか」で見ないほうがいいと思います。 社内で花形とされる部署は、たいてい過去に大きな利益を出した領域であって、これから価値が残る領域とは限りません。見るべきは、そこにいる三十代がどんな仕事をしているかです。資料を作っているのか、事業を動かしているのか。それが十年後の自分の姿になります。
二つ目。フィードバックが返ってくる仕事を優先することです。 自分が決めたことの結果が、どれくらいの期間で、どれくらい観察可能な形で返ってくるか。値決めや品揃えの判断なら数週間から数ヶ月、ブランドの位置づけの変更なら一、二年、投資判断なら五年から十年、しかも検証はほぼ不可能です。若いうちは、この時間が短い場所にいるほうが速く成長できます。これは仕事の格の話ではなく、学習の構造の話です。
三つ目。「調整」という言葉に気をつけてください。 商社の仕事は本質的に調整ですが、権限のない相手を動かして物事を前に進める調整と、両者の言い分を並べて会議を回すだけの調整は、まったく別物です。前者はどこへ行っても通用する技術になり、後者は何年やっても何も残りません。見分ける基準は単純で、その役割が数字を持っているかどうかです。PLでも、予算でも、決裁権でも構いません。持っていないなら、それは事務局です。
正直なところ、私自身がこれを分かって配属を選べたわけではありません。数年やってみて、ようやく言葉になった程度です。ですからこれは、過去の自分に宛てたメモに近いものです。
それでも、自分の結論
仮に上の見立てが概ね正しいとすれば、単体社員として価値が残るのはオペレーターとオリジネーターです。事業を動かせる人と、案件を持ってこられる人。
そしてどちらも、本社の投資チームに座っていては身につきません。前者は現場でしか、後者は関係と時間でしかつくれないものだからです。
冒頭に書いた「実態がない」という感覚は、たぶん甘えではありませんでした。AIに最初に消される領域に自分がいるという、構造の正確な認識だったのだと思います。
ですから私は、事業の側へ行こうと思っています。ブランドを創る過程、意思決定の仕方、権限のない相手の動かし方。この三つを、実物のある場所で覚えたいと考えています。
それが正解かどうかは、五年後にも分からないかもしれません。ただ少なくとも、決めたことの結果が返ってくる場所に立ちたい、とは思っています。


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